解くより見つける

テレビ番組「東大王」(TBS 系)は、現役の東大生チームと芸能人チームとがクイズ対決する人気番組で、いかに早く多く正解を答えるかで勝負が決まります。東大生チームが勝利すると、やっぱり東大生は頭がいいなあという感想があふれる。実はここに日本の教育の問題点があります。必ず答えのある問題が出され、豊富な知識量を持つものが有利という前提では、受験勉強で膨大な情報量を吸収している東大生が有利なのは当然です。ただ、光があれば影もある。知識量の多さを目指すことを明治以来続けてきた日本の教育が、今大きな壁に突き当たっているのです。21 世紀は地球環境をはじめ、正解のない問題を見つける、答えが複数ある問題から最適解をひねり出す創造的な知が求められている、それが知の現状です。優秀な大学の世界ランキングでここ数年、東大が低位に沈んでいるのは、そんな事情の反映でしょう。

スマホやパソコンで検索すれば、すぐに答えが出てくる時代。こんな情報環境で危惧されるのは、自らの内からわいてくる好奇心、探究心の衰えです。そこで子どもの頃からそうした芽を育てよう、という取り組みが各地でなされています。横浜市立大岡小学校では30年前から探究教育を取り入れ、校内でヤギ2頭を飼い低学年生徒に飼育を担当させ、どんな餌がいいか、どこから仕入れるかなど自分たちの頭で考え試行錯誤させる。紙の知識やネットの情報とは異なる、目の前の現実に向き合う体験から好奇心と探究心が育まれることを教師達は実感しているといいます。1冊の教科書で全員が同じ内容を学ぶことも明治以来の伝統です。でもそれでは味わえない学習効果があると思わせるのは、私立横浜創英中学・高等学校の実践例です。中・高6 学年1600 人の生徒に、学年の壁をなくし一人ひとりが好きな授業を選択できる制度を取り入れ、いわば1600 通りの時間割がある状態です。自分はどんな人生を歩みたいのか、将来の夢に向けて今何の学習が必要か、自分で選択する、そこから自主性が育ち、卒業後の進路を明確に描ける若者が増えることが期待されます。

もう一つの日本の教育の弱みは、人前で自分の意見を言わないこと。これも明治以来の教育が大きく影響しています。空気を読む、大勢順応、同調圧力、忖度、斟酌、つまり多数派と異なると仲間はずれにされる、えらい人の意見に反対すると飛ばされる、という怖れが心の底に植え付けられている。江戸時代にお上(領主や村主ら)にたてつくなという意識を植え付けられ、明治に入ると、国家神道による締め付けでお神(天皇や政府要人ら)に反対のものは反国家、反政府の非国民というレッテルが貼られ、自由に発言する力が抑えられました。言論の自由を獲得した戦後社会では、自由にディスカッションがなされ、政府に対しても批判を浴びせられるはずなのですが、実態はどうか。令和の今でも学校や職場で生きにくさ、息苦しさに悩む人が少なくなく、言えないつらさを内に抱え込んで鬱状態に落ち込む人が増えている現実です。日本人の頭には、お神やお上がまだ重しのように鎮座しているのか。意見を屈託なく言えて、その違いを認め合うという風通しの良い社会を創る。新しい世代に期待したいですね。

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