血は水よりも濃いという言葉があるように、血縁関係は古今東西、地位や職業や財産を継承する際の重要な要素でした。君主の地位や貴族・高級官僚のポストも、多くはその家系の者に引き継がれる歴史が長く続きました。いわゆる世襲制度です。日本でも古代から天皇家をはじめ、貴族や武家の世界では個人より血縁を優先する世の中が続き、江戸時代までは農民や商人、職人や芸人といった庶民階級まで、親の職業を継ぐという世襲が当たり前でした。21世紀でも歌舞伎や能・狂言役者は親や祖父の名を襲名して、伝統芸能の火を絶やすことなく活躍しています。戦後の日本国憲法で職業選択の自由が保障されましたが、一部の職業、例えば、僧侶 ・神官、陶芸家、武道家などでは親の後を継ぐ例が目立ちます。企業経営者の中にも息子・娘を後継者に決める同族経営が今でも珍しくありません。
世襲そのものには善悪のレッテルを貼るものではありませんが、これが世襲議員となると以前から問題視されてきました。日本の国会議員の場合、1980年代後半から25~30%にも及んでおり、今も4人に1人が現役議員です。国際的には10%以下の国が大半で、近代民主主義発祥の地、イギリスでは6%。別に目くじら立てなくてもいいじゃないかと問題視しない人もいます。21世紀になって総理大臣になった9人のうち、2世・3世の世襲議員は小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、岸田文雄の6人で、確かに権力の座に近いことを証明しています。でもアメリカの歴代大統領45人のうち親子は2 組のみ。お隣韓国の大統領も朴槿恵を除けば、今の尹錫悦(ユン・ソンニョル)を含む全員の父親は政治の世界とは無縁で、政治家が家業という日本の実態が浮き出てきます。はたして、今日の日本の政治において家系より個人の能力と識見が有権者に評価されるという個人主義は機能しているでしょうか。
日本は世襲家庭が多いのだから、政治家もいいじゃないかという風土に逆風が吹き始めたのは2、3年前からです。2021年の新語・流行語大賞トップテンに選ばれた親ガチャという言葉がインパクトを与えました。親に財力や権力があると子の人生が恵まれたものになる、という不公平感が若者たちに広がり、上級国民批判とともに、ジバン(組織力)カンバン(知名度)カバン(資金力)を生まれながらに持つ世襲議員への不公平感が強まりました。現在の衆議院小選挙区制度では、有能で新鮮な候補者がいても、いざ立候補するとなると供託金300万円を用意せねばならず、しかも落選したら金だけでなく仕事も失うリスクがあるので、なかなか踏み切れないという構造的な問題がわだかまっています。そうなると3つのバンを有する世襲候補の当選率が高まって、どうせ政治なんて一部の有力者が決めるものという諦めが広がり、政治離れが進み投票率が低下し、固定票を持つ世襲議員がますます有利になる悪循環が現状としてあります。
多様性が求められる今日の日本で、何世代も特定の家の人間が権力の座につき続ける事態は好ましいものかどうか、次の選挙の際一人ひとりが考えてみてはいかがでしょうか。
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