PLAN 75

出生率1.30 は6年連続のダウン、出生数は81万1604人で過去最少、人口の自然減は62万8205人で15年連続の人口減少、2021年の人口動態を報じる新聞の見出しから、改めて日本の少子化の危機が浮き出てきます。この夏の参議院議員選挙でも、ほとんどの政党が出産費用無償化、子育て支援金増額といった公約を掲げていました。このままでは日本社会が縮小して経済も萎縮して国家の活力が減退してしまうという共通認識があります。一方で、もう一つの大きな難題があります。少子化と対で語られる高齢化です。国民の約3 割を占める高齢者の存在が今後ますます国家財政を圧迫するという議論が近年国会でたびたび交わされています。右肩上がりの高齢者層のボリュームを前にして、老人は社会の重荷だと言わんばかりの風潮が広まりつつあるといったら言い過ぎでしょうか。

そんな日本の近未来のある日、国会でこんな法案が可決されます。75歳から自ら死を選ぶ権利を保障し、支援する制度を新設する。有り体に言えば、あまり長生きしないで75 歳を過ぎたら安楽死、尊厳死を選んでくださいねという国家からの圧力です。これは福祉政策なのか。体のいい棄民政策、新たな姥捨山構想なのか。法律が施行されたとき、ホテルの客室清掃員をしながら慎ましく一人暮らしをしている78 歳の女性(倍賞千恵子が演じる)に選択が迫られる。さて、どうするというストーリーの映画「PLAN 75」が今年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、早川千絵監督(45)にカメラドール特別表彰が与えられました。重いテーマです。生と死という根源的な問いかけ、国家や民族の壁を超える文明の課題が据えられています。超高齢社会の到来は日本がトップランナーですが、多くの国々がすぐ後に続いており、日本の解決法をじっと見ているといった現状です。

「この作品は安楽死や尊厳死の是非を問う作品ではありません」ときっぱり言う早川監督は、21 世紀に入ってからの日本社会の変質に強い疑問と異議を感じたそうです。自己責任という言葉が幅をきかせ、弱い立場の人たちへの想像力を失い、社会に役立たない人間は生きている価値がないと、人を生産性の有無で計ろうとする、そんな社会は迎えたくない!という怒りに燃えた心の叫びが映画制作のマグマでした。30 年ほど前の日本では、そろって元気に100 歳を迎えた「きんさんぎんさん」双子姉妹がテレビCM で人気者になり、長寿社会のヒロインとなりました。長生きを寿ぎ、老人を敬い大切にするという日本社会の伝統が生き残っていた頃でした。弱い立場は高齢者だけではありません、障害者も同じです。戦後、滋賀県に「びわこ学園」という施設を創設した「日本の心身障害福祉の父」糸賀一雄の言葉「この子らを世の光に」は、今も命の哲学の金言です。「この子らに世の光を」という哀れみを請う考えとは反対に、「言葉が出せなくとも全身を使って意思を発信し、かけがえのない自己実現を図る、それこそが創造であり生産である。その生きる姿が世の光となる」という発想。早川監督の映画からすべての命を肯定し生きていること自体が尊いことというメッセージを受け取る人が一人でも増えれば、少しは世の中も明るくなるでしょうか。

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