絶望社会

よくも悪くも、北京冬季オリンピック大会の華は15歳の天才フィギュアスケーター、カミラ・ワリエワ選手(ロシア・オリンピック委員会)でした。長い手足、優美な動き、確実なジャンプで史上最高点を更新し、昨年から出場する大会では不敗を誇り、五輪での金メダル間違いなしと世界のメディアが太鼓判を押すほどでした。あまりの強さに競争相手が絶望するほどだから、ニックネームが絶望とか。ところが、大会に入ってから禁止薬物使用のドーピング疑惑が追及され、本番フリー演技でミスを連発、総合4位となりメダル獲得を逃した。まさに天国から地獄、自らが絶望する結果となりました。

さて、その絶望が五輪会場だけではなく、日本の社会にも忍び込んでいるようだ、というと不審に思う方がいるかもしれません。戦後復興を果たし、世界に誇る高度経済成長を実現しバブル経済を謳歌した以降の30年間、経済成長率は低迷、働く人の年収は実質下降気味で、今日より明日の方がよくなるという確信が持てない国になってしまいました。GDPなど大きな統計数字はそう悪くないかもしれませんが、子どもから老人までを貫く格差社会が現実のものとなり、相対的貧困という断層が露呈しています。将来が暗いからと若い男女が結婚せず、子どもを持ちたがらず、学校や職場がつらいと不登校や引きこもりの人たちが急増しています。国や社会や未来への明白な、あるいは漠然とした不満や不安が、個々人の胸の中で失望や絶望の種になっているのか。それがパンとはじけて、この世とおさらばと自死するケースが後を絶たず、2021年には20830人を記録、1日あたり57人の自殺者が出ている計算です。それでも2012年から1年間を除いて自殺者数は減少トレンドを続けておりますが、ここ2年のコロナ禍の影響か、自殺に質的な変化が見えてきました。

それは、他人を道連れにするケースが目立つことです。親しい家族や恋人を道連れにする心中は昔からありますが、最近の特徴は無関係な人を殺害した後に本人が自害するという、精神医学用語でいう拡大自殺事件が増えており、さらにそのニュースに刺激を受けて似た事件が連鎖するという現象です。経済事情、健康問題、男女関係、家庭・職場・学校の人間関係・・・など多様な事情からこの世の中がイヤになったと厭世気分、つまり世の中に絶望して自死に至るだけでなく、そこからこんなオレにした社会が悪い、私だけがこんな惨めな目に遭うのは許せないと赤の他人まで巻き込んで死なば諸共とばかりに大量殺人を企てるケースが頻発しています。昨年師走の大阪市中心部での心療内科クリニックに放火して25人を巻き添えにして死んだ60代の男性患者。今年1月、埼玉県の自宅に主治医らを呼びつけて散弾銃で3人を殺傷した60代男性。大学入試日に東京大学の門前で受験生ら3人にナイフで切りつけた17歳男子高校生。昨年10月には東京で走行中の私鉄京王線車中で油をまき刃物で乗客十数人に刺傷を負わせた20代男性の事件は、すぐに別の場所で模倣事件が起きました。個々の動機は異なるものの、それぞれの心の奥に巣くった自分だけがなぜ?という孤独感と絶望感が合わさって凶行に及んだ点は共通しているのではないでしょうか。コロナ禍で人と直接会って話す機会が激減した今の世の中は、困窮した人たちの居場所がますます狭くなり、社会的孤立が浮き出てきやすくなっている、との専門家の指摘があります。月並みですが自分にできることは何かと自問しつつ、支える仕組みを少しでも充実させるしかないかと思います。

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