忘れられる権利

「忘れっぽくなったなあ」と多くの中高年が嘆く今日このごろ。日本で数百万人規模になった認知症患者の急増ぶりを目の当たりにすると、記憶を失う不安が強まるのも無理ありません。自分が生きてきた足跡は死ぬまで記憶にとどめておきたい。多くの人が抱く「忘れてしまう恐怖」は、いつまでも人間らしく生きたいという気持ちの裏返しでしょう。「忘れたくない」とは対照的に、ここ数年顕著になってきたのは、「忘れられたい」という願いです。インターネット社会がどんどん進化してきて、いったんウェブサイトに掲載された自分にとって不都合な過去の記録が永久に消えない、という新事態が起きています。さらに最近では、文字情報だけでなく写真、動画までネットに載ったら、地球が消滅するまで残ることになりかねないのです。

「人のうわさも七十五日」。ネット社会到来までは、世の中、こんな牧歌的なものでした。どんなに世間を騒がせた事件や出来事があっても、月日がたつにつれ人々の関心が薄くなり、記憶もあいまいになっていくのが普通でした。そう、人間の記憶はそうしたものなのです。しかし、コンピューターは違います。記憶でなく、記録(データ)をしっかり残す機械です。人間が消さない限り、消えません。例えば、犯罪で逮捕され有罪となった人物が、刑期を終了した後、新たな人生をやり直すケースはたくさんあります。ひと昔前ですと、次第に過去を周囲が忘れてくれる社会環境でした。ところが今は、誰もがクリックするだけで過去のデータが目の前の画面に即座に出る世の中です。かつての過ちが一生目の前に突き付けられながら生きていかなければならない、非人間的な情報環境なのです。ITC革命の光と影の、暗い影の部分が今、私たちの生活と人生を、まるで夕立雲のようにうっとうしく覆っている状態、と言っていいでしょう。

「忘れられる権利」が今年5月、EU(欧州連合)司法裁判所の判決で初めて認められました。人類史上、新しい種類の人権です。10年以上前に社会保険料を滞納し所有する不動産が競売に掛けられたスペイン人の訴えです。その後、保険料を納めたのに、今もって当時の新聞に掲載された競売公告がネットに残り不利益を被っていて、大手検索サイトのグーグルのページから記事へのリンクを表示させないよう求めた内容です。判決を受けて、グーグルはそのリンクを取り消し、さらに広くリンク削除の要請を受け付けたところ、数万件が舞い込んだそうです。日本でも8月、京都地裁で判決がありましたが、こちらは逆に削除請求は認められませんでした。2年前に女性を盗撮して逮捕され執行猶予判決を受けた男性が、その後ヤフーのサイトで自身の名前で検索すると、その逮捕記述が表示されていて、名誉棄損、プライバシー侵害だと損害賠償とリンク表示の差し止めを求めた裁判です。この2例とも、記事を書いた報道機関ではなく、検索エンジン側を訴えている点が特徴です。もういいかげん、記録を消してくれという訴えです。ただ、報道の自由や人々の知る権利とどう調和させていくかなど本格的な議論はこれからのようです。好き嫌いにかかわらず、後戻りできないネット社会に生きる以上、記憶と記録の違いを十分に認識することを、お忘れなく。

0コメント

  • 1000 / 1000