プレゼンテーション

2020年オリンピック開催地が東京に決まった時の熱狂も、秋風とともに少し冷めてきましたが、プレゼンテーション熱は一向に冷めていないようです。JOC総会での最終プレゼン。東京チームによる硬軟取り混ぜた説明と演技と映像が招致の決め手になったのでは、という報道があふれ、これまでプレゼンを得意としてこなかった日本人社会にも、その大切さが幅広く認識されました。日本文化という観点からすると、一つのカルチャーショックでしょう。

日本の文化風土では長らく、自己PRをさげすむところがありました。江戸時代の武士の倫理の中軸となった「論語」では「巧言令色鮮(すくな)し仁」(にこやかな表情で口先でうまいことを言うやつは信用できん!)が呪縛力を発揮していました。何か失敗した時に言い訳を言おうものなら「ええい、くどくどしい。恥知らず!」と逆に怒りを買うことが多かった「至誠天に通ず」正直であれば本当の心は自分から言わなくとも、おてんとう様がちゃんと見てくれているというわけです。人と人の間では、言わなくてもわかる「以心伝心」の価値が高く、相手の苦衷を察する想像力、包容力を持った人物が高く評価されました。三船敏郎が出演したテレビCM「男は黙ってさっぽろビール」が人気を呼び、北島三郎のヒット曲「兄弟仁義」では「おれの目を見ろ、何にも言うな」と口より目にものを言わせています。寡黙な男の役柄が多い高倉健が国民的スターといわれ、その演じる男性像が日本人男性の一つの理想形とされてきました。自分から自分を売り込まない奥ゆかしさというDNAが、日本人の背骨に長く埋め込まれてきたからでしょう。

ところが、戦後のアメリカ文化の流入で、事情はガラッと変わりました。はっきりと変化が表れてきたのは、バブル経済が崩壊した1990年代からか。このころからグローバル経済が日常化して、外資系企業が日本にあふれるようになり、海外支店に赴任する日本企業社員も世界中にちらばり、大卒の若者もいきなり外国企業に就職する例が珍しくなくなりました。そこでは日本語以外での会話、主に英語でのやり取りが日常となり、以心伝心は通用せず、異文化の相互理解のため、自己PRをするのが当たり前。異言語、異文化の相手に自社製品を売り込むために、相手にわかるような説明、プレゼンをする必要性が高まりました。当然、日本社会にもその風が吹き、就職活動の学生にも企業側から自己PRという就活項目が課せられる。いいお手本も目にすることができるようになりました。日本人にショックを与えたのが、アップルのCEOだったスティーブ・ジョブス。新製品の発表の場にジーンズ姿で登場し、iPhoneなどを手に取りながら新機能を説明する姿に、テレビ映像を通して引き寄せられアップルファンになった人が世界中に。愛想笑いや過度な演出もなく、短く的確な説明が信頼感を抱かせるプレゼン。トップセールスの重要性を世界へと発進する契機となりました。ジョブスだけでなく、プレゼン先進国のアメリカの優秀なプレゼンターを紹介するテレビ番組「スーパープレゼンテーション」がNHKBSでも放送されるようになりました。講習会、セミナーも盛んになってきたプレゼン発展途上国ニッポンでもやがて、猪瀬直樹東京都知事のオーバーアクションを上回るような演出力のプレゼンターが多数登場する時代が来るかもしれませんね。あんな姿を見ると恥ずかしくなるというシャイな日本人も、絶滅種になるか。

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