霊峰富士

正月の縁起ものは「一富士二鷹三茄子」と、庶民の間で長らく語り継がれてきたほど、富士山はおめでたいものの第一番でした。その富士山が6月22日、ユネスコの世界文化遺産に登録され、まずはおめでたいことです。正式名称は「富士山――信仰の対象と芸術の源泉」。日本人の心の故郷であり、美意識の源でもあることが認められたわけです。奈良時代の万葉集に多く詠まれ、平安、鎌倉時代に描かれた富士山の絵には、頂上の三つの峰に阿弥陀如来、薬師如来、大日如来が鎮座しており、霊峰富士として信仰の対象であり続けました。大衆文化が花開いた江戸時代には、全国各地から富士講を組んで、多くの登山者が「富士=不死」のご利益を求めて霊山を目指しました。ふもとに多くある浅間神社には、今も白装束の富士講信者たちが身を清めてからお山に登る姿が絶えません。

今回のユネスコ審査で、とくに欧米の委員たちの心を強くとらえたのは、実際の富士山の景観よりも、葛飾北斎、歌川広重らが浮世絵でさまざまに描いた富士の風景だったかもしれません。というのも、19世紀後半の西洋絵画、とくに印象派のモネ、ルノアールやゴッホらに強い影響を与え、ジャポニスムが一時代の潮流になったからです。北斎の「富嶽三十六景」のうち、激しい波頭の間に遠く富士の山が見える構図の傑作「神奈川沖浪裏」は、世界で最も知られている日本画と言ってもいいほど、強烈な印象と影響力を持った作品です。富士山が世界の絵画の流れを変えた、と誇りにしてもよいでしょう。そういう表現をしてきた日本人の美意識が、世界の多くの人々に受け入れられたことも大きな喜びです。

ただ、今回の登録はあくまで文化遺産としてであり、実は自然遺産としては2003年の国内選考で落選しているのです。なぜでしょう。周辺には膨大なごみが捨てられており、山岳環境として恥ずかしいものだったからです。今回の世界遺産登録を喜ぶ地元にも、これで世界から多くの観光客が来るとソロバンをはじく一方で、自然環境保護への懸念を口にする人たちが少なくありません。今年も7月1日の山開き以来、登山客が押し寄せています。昨年7~8月には約32万人が登り、中には1日1万人の日もあり、渋谷、原宿並みの混雑と新聞が報じたほど、登山道は大渋滞でした。7合目以上の山小屋は14軒、収容人数は約3000人程度。登山者の適正規模は約18万人、だから入山規制をという声も強く出ています。ハイキング気分で軽装のまま来る人や、夜から登り始めて朝ご来迎を拝んで昼には下山という弾丸登山組も年々増えて、疲労からケガ、病気、事故で医者の世話になる人数もうなぎ登りです。熱しやすく冷めやすい日本人の習性か、世界遺産決定の年はどっと人が集中して翌年から減る傾向は、07年に世界遺産となった石見銀山(島根県)でも見られました。また観光で金もうけという意識が高じると、せっかくの環境を壊すことにもなりかねません。こんな例もあります。中国・雲南省麗江は少数民族「ナシ族」の黒瓦の家並みが続く世界文化遺産ですが、木造の民族家屋が次々とバーや土産店に変わり、中国人観光客ですら北京の繁華街と変わらないと嘆くほど。富士山もこれらを他山の石として、くれぐれも「信仰と芸術」の原点を見失わないようにしたい。文化とは、人間の生きる様そのものなのですから。

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