ビックデータの光と影

「大きいことはいいことだ」。1970~80年代に覆った高度経済成長期の空気です。だがやがて、地球資源の限界と環境汚染という現実を突き付けられた先進国は反省し、21世紀の今は新興国を含めて調和のある、持続可能な成長を掲げるようになりました。さて、最近よく目にし耳にするビッグデータという言葉。「ビッグ=大きい」という点に、期待と不安が入り交じります。定義は難しそうですが、簡単に言うと、さまざまなインターネットで流通する膨大で多様なデータのこと。米グーグルが開発した検索サービスの基礎技術から、現在さまざまな高度ネット利用が拡大して、その情報量は天文学的数字になっています。集積したビッグデータを、私たちの日常生活や社会インフラに役立てようという機運と具体的な動きが、世界各地で活発になっています。

トヨタ自動車が5月末に発表したサービスは、全国を走行する330万台の車両に搭載したIT機器を通して収集した情報を基に、多様な情報サービスを提供するという内容。渋滞個所も分かるし、目的地までの最適ルートもリアルタイムで分かる。大震災など緊急時には、通行可能な道路や避難場所なども提示できるという。日産やホンダも同様なサービスを提供するが、中には保険会社と組んで、優良ドライバーを割り出して保険料を安くするサービスも視野に入っているそうです。金融機関ではローンの与信審査に活用できるし、一般企業では顧客の嗜好分析から売れ筋商品の開発、ネットショッピング会社では顧客の過去の注文傾向を分析して新たな商品のお勧めというセールス活動にも生かせる。民間部門だけでなく、公共目的にも広く活用が期待されています。犯罪多発地域へのきめ細かい防犯活動で犯罪予防効果が高まり、大災害の際の緊急避難対策にも効果を発揮しそうです。病気にもビッグデータは威力を発揮します。今までは通う病院ごとに独自のカルテ、投薬情報、検査データが保管されていましたが、もし一人の患者の全データを一括統合管理して、全国のどの病院、どの医院の担当医師でもそれを活用できる体制になれば、患者の負担は減り、医師の医療ミスも減り、遠隔診療も可能になってくる。そんな夢のようなことが、ビッグデータの活用によっては現実のものになるかもしれないのです。

いいことずくめなのか。5月24日国会で「共通番号制度法」が成立しました。国民一人一人に番号をふり、所得や年金などの個人情報を国が一元管理して、行政機関と国民の両方にとって手続きが簡素化されて便利になる、というふれこみです。国や地方自治体などで現在それぞれに管理している個人情報をネットワークで結んで、2015年からは約90の個人情報を端末キーで一括検索できるようになるというのです。国民一人一人に番号付きの「個人番号カード」が発行され、希望者には顔写真付きカードもある。年収、不動産、医療費、失業保険給付、生命保険、株や投資信託など証券記録など、およそ役所と縁のあるデータはもれなく収集、記録されます。いちいち異なる役所に行かなくて便利という利点は確かにありそうですが、これだけの個人情報ビッグデータが一元管理されたらプライバシーの侵害が心配だという声も、単なる無用の心配とは思えないでしょう。事実、ヤフーなど膨大な利用者を抱えるネットサービス会社ですでに、何百万、何千万というユーザーIDが漏えいした事件も多発しています。本人自身の記憶がない過去の個人情報が、何年たってもきちんと記録に残っている。そんなことが多くなる時代です。自分という人間が、知らないうちに丸裸にされる恐怖を感じるという人も少なくないでしょう。個々人が国家に徹底的に監視される全体主義社会の恐怖を描いたジョージ・オーエルの小説「1984年」では、「ビッグブラザー」と呼ばれる独裁者がいたことを思い出します。では拒否して、前の時代に戻るか。それはどこまで可能か。ビッグデータの光と影。少なくとも、私たちはその両方に目を凝らし注意しながら生きていくしかないようです。

0コメント

  • 1000 / 1000