日本人は世界で一番礼儀正しい民族だとよく聞きます。うれしいことです。今回のオリンピック大会でも各国の選手たちから、ボランティアなど大会運営に携わった人たちによる心のこもった応対に、感謝の言葉が寄せられています。ことあるたびに頭を下げる姿がそうした印象を強めたのかもしれません。ただ一方で、そんな仕草が日本人は世界一すぐ謝る民族だという風評を広めてきました。人と人とのちょっとした接触でもすみません、ごめんなさいというお詫び言葉が双方から発せられる光景が珍しくありません。人間関係の潤滑油として深い意味なく使われているといっていいでしょう。ところが、権利意識が強く訴訟ごとが日常茶飯事のアメリカ社会でははじめに謝った方が加害者とされ裁判に負けるとの意識がすり込まれており、加害者側であっても簡単にアイアムソーリーを口にしない風土なんだそうです。どちらが望ましい社会なのか、それぞれの歴史・伝統に深く根ざした文化なので、容易には判定できませんね。
よく謝る日本人の姿は、オリンピック開催に際して何度も見受けられました。主催者のトップ、組織委員会会長だった森喜朗さんが女性が入った理事会は時間がかると発言、男女平等を掲げる五輪精神に反すると辞任に追い込まれたのをはじめ、開会式の演出担当も過去の問題発言が発覚して直前で辞任。他にも、表敬訪問した女子ソフトボール選手の金メダルをいきなりかじるという行為に対して当初最大の愛情表現とうそぶいた河村たかし名古屋市長。女子ボクシング史上初の金メダルを取った選手についてテレビ番組で「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合う、こんな競技、好きな人がいるんだ」と女性蔑視とスポーツの否定をしたり顔で語った元野球選手の張本勲さん。皆さん、メディアの前で謝罪パフォーマンスはしたものの、では自分の言動を本当に悪かったと認識しているのかといえば、その言葉使いや声明文のあまりの軽さにあきれ果てる人が少なくありません。今は世間やマスコミがうるさいから一応頭は下げておこう。いやあ、すぐに批判の嵐なんて通り過ぎてしまうさという裏声の本音が漏れ聞こえてきそうです。
謝らない謝罪がまん延という記事が雑誌ニューズウイークにありました。最近の謝罪のパターンに「誤解を与えたのであれば申し訳ない」という弁解が横行しているというのです。私の話したことを聞いた方(メディアや世間)がねじ曲げて理解したのであって、こちらは悪くないよと言っているのに等しい、つまり一切謝っていないというわけです。また、世間をお騒がせして慚愧に堪えませんというセリフも、自分が犯した不正行為や問題発言に言及せず、曖昧なふたをしているに過ぎません。人前で頭を下げるという禊さえ済ませれば、批判された言葉や考えを変えなくても構わない、という世間を甘く見た開き直りがまかり通る日本社会なのです。不適切発言があってもあの人はそういう人だからと、まるで愛すべき個性であるかのように許してきたマスメディアの猛省が求められます。どんなに権威・権力のある人でもそれを言っちゃおしまいよという正論の一線が厳しく貫かれる社会。これが東京2020オリンピック・パラリンピックのレガシーになるか。真夏の夜の夢で終わるか。ワクチンを1度や2度打っても、そうそう変わりそうもない宿痾(しゅくあ)ですけど。
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