江戸の空

あたらしい年を迎えるにあたって、何かドーンと大きい夢を描いてみる。そんな人が少なくないでしょう。そこで私たちもこんなことを考えました。日本の空をもっと広く大きくしようと。といっても地球脱出の話ではありません。日ごろ見慣れていて気づかなくなっているかもしれませんが、街のあちこちに立つ電柱をなくそうという話です。昨年の東京都知事選で当選した小池百合子知事が、選挙公約に挙げていた無電柱化。何のこと?と訝しんだ人も多かったでしょうが、小池知事にとっては衆議院議員時代から長年主張しているテーマで『無電柱革命』(共著・PHP新書)という本も出しているほど。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて電柱を取り払ってきれいな街の景観を取り戻し、外国からのお客さんに東京のよさを満喫してもらおうという政策です。

「電信柱ってそんなに気になるの?」と人もいます。生まれたときからあるものは特に違和感なく受け入れてしまうのが人間。無理もありません。ところが、日本列島全体で約3552万本もある多さ、国民の3.5人に1本の割合という高密度、電柱地中化が本格的に始まった1986年から逆に約500万本も増加……という事実を前にすると、う~むと考え込んでしまいます。海外旅行に行った人ならお気づきでしょう、電柱地中化率100%のロンドン、パリのすっきりとした街並みに。ニューヨークやベルリンも90%台で、アジアはどうかというと北京34%、ジャカルタ35%、マニラ43%、ソウル46%、シンガポール93%で、ごちゃごちゃしたイメージの強い香港はなんと100%!それに比べて、東京23区内はたったの7%!大阪市は5%、世界から観光客の集まる京都市に至っては2%です。経済先進国の日本は電柱大国、地中化後進国なのです。「電線が縦横に張り巡らされている商店街を歩いていると、鳥かごの中にいるような閉塞感がある」というデリケートな人もいます。渋谷のスクランブル交差点が珍しいと写真を撮る外国人観光客の中には、都内の電信柱にカメラを向ける姿も見受けられます。つまり異様な光景という証しでしょう。

では、電柱をなくしたらどんないいことがあるのか。まずは景観がよくなります。電線でいい風景が細切れされることなく、街並みに開放感が広がります。次いで、道路が安全になります。平均幅5~6メートルの日常道路は電柱のせいで実質幅員が3~4メートルに狭まっています。電柱がなくなることで子どもや障害者や高齢者の歩行と自転車通行がより安全になり、自動車運転者にとっても事故の不安が減ります。近年強調されるメリットは防災面です。阪神・淡路大震災で約8100本、東日本大震災で約5万6000本の電柱が倒れて道路をふさぎ、消防車・救急車など救助活動車両が通れずに惨事が広がったという苦い経験があります。さらに、無電柱化した小江戸と言われる川越市の一番街や伊勢市のおはらい町では観光客が倍増し、中には資産価値が上昇したという地区もあります。なぜ地中化は進まなかったのか。その大きな理由はコストです。1本約1000万円の電柱工事費に比べて地中化費用は1キロあたり約5億円と20倍もかかるそうです。戦後長らく「景観に金は出せない」と役所や企業の価値観は揺るぎませんでした。だが、時代は変わりました。技術の進歩でより安価に電線を埋設する実証研究が進行中で、国も防災優先道路には電柱を作らせない方針を決め、国会では無電柱化促進法案が議員立法で出される動きが急速に進んでいます。電線などもちろんなかった江戸時代には江戸の町のあちこちで富士山が切れ目なく見えたことでしょう。“江戸の空”が平成の世によみがえる。そんな日が来るのを楽しみに待ちたいですね。

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