「生きるのは日常。死んでいくのも日常。死は特別なことではない」「がんになって死ぬのが一番幸せ。本人だけでなく周りも死に向けて準備や片付けができるから」――こんな深遠な言葉を言えるのは、きっと長い修行を積んだ高僧に違いない、と思う方がいるかもしれません。でも、実は女優の樹木希林さんの言葉なのです。昨年9月、75歳でお亡くなりになった後、生前あちこちで話したご本人の言葉を収録した本が次々と出版されました。平成最後のミリオンセラーと話題になった「一切なりゆき 樹木希林の言葉」(文春新書)は150万部を超えて、今年の年間ベストセラー1位に輝きました。「樹木希林 120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ」(宝島社)も70万部超、さらに「希林本」は次から次と出版されて、10種類以上が本屋さんの店頭に並んでいます。なぜ今、樹木希林(の言葉)が多くの人に求められるのか。
いくつかの言葉を紹介すると、その理由が何となくわかってきます。例えば「死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの。私の場合、全身がんですから。だから仕事も先の約束はしない。せいぜい1年以内」諦観というか達観というべきか。怖いはずの死のゴールを淡々とした自然体で待ち構えている姿が浮かびます。そう思えるには、どんな人生観を持つに至ったからか。「面白いわよねえ、世の中って。老後がどう、死はどうって頭の中でこねくりまわす世界よりもはるかに大きくて。予想外の連続よね。楽しむのではなくて、面白がることよ。面白がらなきゃやっていけないもの、この世の中」。自分から働きかけて目の前の客観世界を自分の好きな色に染めて自分の世界を作り出せばいい「人生なんて自分の思い通りにならなくて当たり前」という覚めた認識がある半面、それを面白がる自分がいれば、結構人生って楽しめるんじゃないの、という熱い実感も裏打ちされているようです。
多くの人が「希林語録」に胸打たれるのは、今の社会の中で「~でなければいけない」という重荷を背負っているからではないか。家庭で、学校で、地域で、会社で……「〇〇してはいけません」というタブーに心がしばられて、息苦しさを感じる人が少なくない現実が、あぶりだされたように感じます。こんなこと言ったらあの人にどう思われるかと勝手に忖度や配慮する日々。生きるのにさまざまな制約があり、伸びやかな精神とは反対の心の苦しさが感じられます。周囲の空気を読まなければ、と縮こまるからこそ、若者から中年、高齢者までもがうつ症状に苦しみ、窮屈な世の中になってしまった日本。そんなものを吹き飛ばすような希林さんのおおらかであっけらかんとした物言いに、ふっと救われ、深く癒される人がいるから、ベストセラーとなったのでしょう。多弁な希林語録を一言でまとめれば、「自分の人生、自分の好きなように生きましょうよ」に尽きます。つらいこともあるこの世の中、だからこそ「死ぬときくらい好きにさせてよ」という希林節が明るく爽やかに響きます。人生100年と長さを誇るより、意味のある人生を面白がることができたか。その心境に達するには、私たちはまだ修行?が足りないかもしれませんが。
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